2011-06-04 13:08
無私の英雄
当社は不動産という業容柄、お取引先様は多岐にわたり、さまざまなバックグラウンドの方とのお繋がりのなかで、さまざまな分野についてご教授いただけることを幸運に思っています。
さて、皆様は児童福祉の先覚者である石井十次(1865-1914:宮崎県出身の岡山県人で「岡山孤児院」創設者)という方をご存知ですか。
今年3月、岡山で懇意にさせて頂いている方から同氏の偉業を称えるまんがの小冊子を頂戴し、これにとても感銘を受け、お世話人が永続されている事業の一助にと会社で100冊ばかりお分けいただくことにしました。小冊子の表紙をアップしていますがご覧いただけるでしょうか、岡山孤児院内で共同生活をしていた孤児、最多でその数なんと1,200名にも上ったといいます。
去る31日、東日本大震災で両親や父母のどちらかが死亡・行方不明となっている遺児が1,100人を越えることが、民間団体あしなが育英会(本部・東京)の調査でわかったという記事に心が痛みます。
石井十次氏や、三陸沖大地震(明治29年)の津波で罹災した児童26名を引き取り「東京孤児院:現・東京育成園」を開設した北川波津女史(1858-1938)をはじめ、福祉の黎明期に活躍をされた方々の足跡にも心を留めて、わたしたちは経済活動を行うべきだとあらためて痛感しています。
この未曾有の大災害に際して会社として出来ることを決めました。今後も変わらず継続します。
さて、皆様は児童福祉の先覚者である石井十次(1865-1914:宮崎県出身の岡山県人で「岡山孤児院」創設者)という方をご存知ですか。
今年3月、岡山で懇意にさせて頂いている方から同氏の偉業を称えるまんがの小冊子を頂戴し、これにとても感銘を受け、お世話人が永続されている事業の一助にと会社で100冊ばかりお分けいただくことにしました。小冊子の表紙をアップしていますがご覧いただけるでしょうか、岡山孤児院内で共同生活をしていた孤児、最多でその数なんと1,200名にも上ったといいます。
去る31日、東日本大震災で両親や父母のどちらかが死亡・行方不明となっている遺児が1,100人を越えることが、民間団体あしなが育英会(本部・東京)の調査でわかったという記事に心が痛みます。
石井十次氏や、三陸沖大地震(明治29年)の津波で罹災した児童26名を引き取り「東京孤児院:現・東京育成園」を開設した北川波津女史(1858-1938)をはじめ、福祉の黎明期に活躍をされた方々の足跡にも心を留めて、わたしたちは経済活動を行うべきだとあらためて痛感しています。
この未曾有の大災害に際して会社として出来ることを決めました。今後も変わらず継続します。
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